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関帝廟今昔物語


居留民によって、横浜市中区山下町140番地付近に日本で最初の廟が創建されました。
大改築が行われ、見る者の目を眩わしたと言われるほどの素晴らしい廟となりました。
初代関帝廟は関東大震災で全壊してしまいました。
二代目関帝廟も、昭和初期に第二次世界大戦の戦災により焼失してしまいました。
横浜・東京・神戸・大阪華僑の浄財を集め、終戦直後の物資欠乏の中、古材を使い苦労を重ねて完成されました。
元旦の朝、原因不明の出火により焼失。火は各神明直前の供物台まで迫りましたが、関聖亭君や諸神明像は無事でした。
厚い信仰と人々の熱意により、横浜中華街のみならず日本国内外の寄付を仰ぎ現在の華麗な4代目関帝廟となりました。
神殿内の八角網組みの天井、三国志の場面が彫られた青斗石の壁面彫刻が完成。三基一二年にわたる工事が完成いたしました。
中国の河東郡解良県常平村(現・山西省解県)に生まれました。漢王朝は悪政の為、飢饉と貧困が蔓延する乱世でした。
張飛・劉備と出会い、義兄弟の杯を交わす。国家の安泰のために国作りに立ち上がりました。
関羽様は、曹操と孫権の連合軍に捕らえられ、忠義を貫き、処刑されてしまいます。享年58歳
唐朝の高宗帝は、「伽藍神」(がらんしん)の称号を贈り、神明として勅封しました。この長い称号が関聖亭君と略され、現在も親しまれています。
後年、劉備の一族が関羽の功績に感謝し廟を建立したのが、関帝廟の始まりです。以後各朝廷も関羽の精忠守義に感動し、帝位を授け護国の神として祀られています。